■オープニング
遠い地平線に夕陽が沈み、
夜の帳が下りる時、
不意に訪れる感情の気流は、
きょうも懸命に駆け抜けた命の営みの証です。
過ぎゆく時は一瞬。
2度と戻らぬ今日を、愛おしく振り返り、
満天の星空を眺めていると、出会いの奇跡が思い出されます。
できなかったことを悔やむのではなく、
できたことを喜ぼう。
感情は、心の声。
「じゃっど」というのは、鹿児島の方言で
「そうですね」という相槌に使う言葉。
おやすみ前のひと時、
心の声に「じゃっど」と寄り添い、新しい明日を迎えるための
「物語」の定期便。
「じゃっどストリーム」
皆様の本日の最終便、お供いたしますのは、
わたくし、5人の子育てママウンサーの岡本安代です。
■本日の物語■
メッキははがれる。金になれ!
子供たちは皆、財産。
この世界の、この国の、この社会の、大切な宝だと思う。
それは磨けば磨くほど、大切に育めば育むほど、
強度を増し、たくましく光を蓄え、輝きを増していく。
ただ、それは、最初から、大きな熱量で光を放っているわけではないような気がする。
数々の出会いにより、人は磨かれる。
叱咤されることで磨かれ、挑戦することで磨かれ、認めてもらうことで磨かれ、
思い通りにいかず悩み苦しむことで、また磨かれる。
生みの苦しみ。
研磨されるというのは、多かれ少なかれ、痛みを伴うものなのかもしれない。
努力せずに結果が出てしまう場合もある。
苦しまずして成果を得られる場合もあるかもしれない。
でも、それは、もしかしたら、最大の不幸なのかもしれない。
「世の中ってこんなものか」と、少なからず傲慢な気持ちを生んでしまう。
驕り高ぶりは、せっかく磨いた輝きをも曇らせる。
もしかしたら、自らが難なく得た成功や、付け焼き刃の成果が金のように輝いて見えるのなら、それはメッキに過ぎないのではなかろうか。
メッキは剥がれるもの。剥がれて、やがては、錆びるもの。
子供たちには、風雨に耐えてもなお、輝き続ける金であれ。と強く思う。
そのために、全ての経験は、金になるために与えられているのだと思えてならない。
メッキは剥がれる。金になれ。
寒い日は、身を寄せ合って話したくなる。
酸いも甘いも嚙み分けて、ハガネのように強くなれ。
寒くなると、身を寄せ合いたくなるもの。
家族との距離が近くなればなるほど、厳しい寒さに打ち克つ魂をしっかり育まねばと、
自然と背筋が伸びてくる。これも母性の一つなのでしょうか。
それは今も昔も変わらないものですね。
■エンディング・ナレーション
遠い昔、幼い頃に物語を読んでもらった記憶を辿りながら、
夜空を見上げると、あの時と変わらず、
星がまたたいていることに気がつきます。
満天の星空に、夜間飛行のジェット機の翼のランプを見つけると、
興奮して指差す我が子の姿に、自らを重ね、
誰かと共に刻む時の尊さを感じずにはいられません。
たくさんの笑顔を、ありがとう。優しさを、ありがとう。
お送りして参りました今日の物語が、
あなたの心に、優しく「じゃっど」と寄り添えますように。
おやすみ前のひと時、お届けいたしました「物語」の定期便、
「じゃっどストリーム」
夜間飛行の
お供をいたしましたのは
わたくし、5人の子育てママウンサー岡本安代でした。
明日もみんなが無事で、元気に、笑顔で過ごせますように。